天上天下唯我独尊の本当の意味は?

今回は天上天下唯我独尊の意味について考えていきたいと思います。

天上天下唯我独尊、「てんじょうてんげ」という読み方をする場合もあります。

一般的には自分が世の中で一番尊いんだと思い上がった状態、傲慢な状態。

そういう例えとしてこの言葉使われるんですけども、その本当の意味はちょっと違うところにあるよ、ということをお話したいと思います。

目次

「天上天下唯我独尊」のルーツ

この言葉がどこから来たかというと、お釈迦様です。

どんなエピソードがあったかというと、お釈迦様は35歳で悟りを開いたと言われています。

その悟りの前は、すごく世の中の苦しみに対してどうやって向き合えばいいのかということをずっと悩んでいたんです。

その苦しみをどうやって乗り越えたらいいのか。

人間には四苦と言われる生老病死など、いろんな苦しみがありますよね。

その苦しみにお釈迦様は悩まされていました。

もともと王様の息子として生まれてるんですけども、それでも世の中のいろんな矛盾を感じてすごく苦しんでいた。

それで出家をして、修行して、どうやって苦しみを乗り越えたらいいのかっていうことをずっと追究していたわけです。

その苦しみから逃れるための修行として、その当時いろんな仙人と呼ばれるような人達が行っていたのが苦行です。

苦しみを伴う修行することで、苦しみを乗り越えることができるんだと。

それがヨガとかに繋がってくるわけなんですけども、そういうことを教えてる指導者の人達がいっぱいいたんです。

ある時にお釈迦様は、悩みをアララト仙人っていう指導者に、聞いたんです。

「どうやって苦しみを乗り越えたらいいんでしょうか。」

そしたらアララト仙人は、

「何も考えないことだ、考えていないっていうことも考えないぐらいに何も考えない、そういう無の境地っていうのを自分の中に作ることができれば苦しみっていうのもなくなるんだ。」

ということを言ったんですね。

ただしそこでお釈迦さんすごく頭いいので、疑問に感じました。

「何も考えてはいけない、何も考えないことも考えないくらいに何もない、果たしてそこに自分という存在はあるのかないのでしょうか?」

そしたらアララト仙人はウッ!と詰まるわけです。

その教えでは完全に答えきれないんです。

そういうことを追究しながら、お釈迦様はいろいろな指導者の下で修業を重ねていったんですね。

そして、断食とかいろいろ体を痛めつけるような苦行もしながら、ずっと探求していたある時に、菩提樹の下で明けの明星を見た瞬間に悟りを開いた。

この時に「自分はあったんだ」ということを悟ったと、そういうエピソードが残っています。

この「自分はあるんだ」っていうことが感覚として掴んだ時の歓喜の叫び、それが天上天下唯我独尊だと。

自分っていうのはあるんだ、そして自分っていう存在は尊いんだということを感覚として掴んだ、そう言われてるんです。

仏教の教えの概略

仏教の教えっていうのは三宝印に集約されると言われています。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。

これら3つの教えは、私たちの生活にも置き換えることができる視点なので、それぞれ順番に考えてみたいと思います。

1)諸行無常

この諸行無常というのは常に世の中は移り変わっていきますよ、ということです。

これはいろんなところに当てはめることができると思います。

たとえば、過去の成功体験に縛られていてはいけないとか、ですね。

世の中っていうのはどんどん変わっていくわけなんで、自分が現状維持をずっと続けていってしまうと、世の中の変化に取り残されていってしまいます。

周りが変化しているわけですから、自分も変わっていかないと時代についていけない。

じゃあどう変わっていくのかということを考えないといけない。

その根本の部分に、諸行無常という考え方が重なるわけです。

2)諸法無我

それから諸法無我、これはどんな人も自分一人だけ独立して存在してるっていう人はいないということです。

必ず世の中、世界と関わることで自分というのは存在することができる。

そういうことを考えていくと、社会という言葉にも繋がってくると思います。

社会の中の自分ということです。

例えばブログの運営で考えても、ただ自分が好き放題やってるだけっていうのは世界と関わってるっていう状態ではない。

そうじゃなくて、世の中から見た時にどのような価値があるのか。

自分からの一方的な主張とか目線ではなくて、周りから見た時の目線、ユーザー目線っていうのがちゃんと活かせているのかどうかとか、そういうことに繋がってくるわけです。

3)涅槃寂静

それから涅槃寂静っていうのは、悟りの境地っていうのはすごく安らぎの境地なんだということですね。

もともとインドっていうのは気候もすごく暑くて大変ですし、そんな中で生まれ変わり死に変わりしても結局苦しみっていうのはずっと続いてしまう。

だから修行をして安らかな世界に死んだ後行こうじゃないか、という教えがもともとインドの仏教の教えなんです。

安らぎの境地を目指しましょう、というのが三つ目の涅槃寂静の教えになります。

これも例えばビジネスだったり生き方に置き換えて考えてみると、自分のフィールドがある状態っていうのは安らかな状態だと思うんです。

迷いがない、とも言えると思います。

自分の中に強みと弱みっていうのがはっきりしている。

さらにできることとできないことっていうのもはっきりしている。

そうなると余計なことで頭を悩ませる必要がなくなるんですね。

自分が得意なことをやる、そして得意なことを通して世界と関わっていけたらどうでしょうか。

それをずっと実践して、どう変わっていくかっていうことも関わりの中で見つけていけば、ポイントを外すことがなくなっていくということです。

世界から求められることを自分から発信していって、自分が発信したことがまた世界に受け入れられていくわけですから。

インターネットを使ったビジネスにおいても、仏教の三宝印っていうのはいろんなところに当てはめていくことができると思うわけです。

天上天下唯我独尊の本当の意味は?

そういったことを考えていくと天上天下唯我独尊の意味をどう解釈すべきでしょうか。

私たちは学者ではないわけですし、何か論文を書かなきゃいけないっていうわけでもないんです。

生活の中で、ビジネスの中で活かしていきたいわけです。

そのためのヒントとして、天上天下唯我独尊をどういう意味として捉えるか、を考えるべきだと思うのです。

そう考えると、どこかに1つの正解があるものとして捉えてしまうと、すごくもったいないんじゃないかと思うわけです。

お釈迦様のこの教えっていうのは、苦しみをどうやって乗り越えたらいいのかということなわけです。

しかし、これを自分の生き方にどう活かしていくか、を考えていくと、一人ひとり意味は異なってくると思うんですね。

これができないといくらこんな言葉を覚えたとしても自分の人生に何のプラスにもならないと、思うわけです。

意味を知るのではなく、どう解釈するか、が大事だと思うのです。

エピソードを知ると、解釈は自由になる

ですので、こういった言葉のその背景にあるエピソードを知ることが大切です。

どういう背景からこういう言葉っていうのが出てきたのかっていうのを知っておくと、その物語から学べる範囲が広がるからです。

そして自分自身の人生において、もしくはビジネスにおいて、他にも人間関係全般において、様々な捉え方ができるようになります。

恋人、夫婦、友達、さまざまな人間関係にも置き換えれることなんじゃなかろうかと思います。

言葉には意味がない

こういうことを考えていくと、本当に言葉とか知識っていうのはどうでもいいんだなと思うんです。

ただ言葉を知っていくら説明しても、自分の生活に活かせていなければ意味がない。

天上天下唯我独尊の意味っていうのは自分で考えることに意味がある。

自分で見出すことに価値がある。

今やっている仕事であったり目標としていることであったり、自分の人生の中で大事にしているものっていうのは人それぞれ違うと思います。

いろんな違いの中でそれぞれの場面、生き方において、どのように活用しているか。

そういうことを考えていくことに天上天下唯我独尊の本当の意味っていうのは生まれてくるのではないでしょうか。

言語化することで活かせるようになる

自分の解釈を言語化していく作業とは、ただ教科書的に理解するというのとはまったく異なります。

今私の仕事はブログを運営したり、メルマガを運営したり、あとコミュニティ運営をしたりしているわけなんですが、いろんなインターネットを通して関わったり、実際に対面で関わったりと、いろんな関わり方をしています。

そういった仕事をしていていると、人の経験は価値があるんだな、と気付かされます。

自分もそうですし、周りの方皆さんそうです。

たとえば、自分自身の経験をお伝えした時にすごく喜んでいただけることもあります。

また逆に他の人の経験をお話を伺った時に、ものすごく参考になる気付きっていうのがたくさんあります。

そういった気付きを大事にしながらいろんな人と交流し合っていると

「人が経験したことにはすごく価値があるんだな」

っていうことをいろんなところで感じる機会が増えてきてるんです。

でも、自分の経験っていうのは大したことないとすごく謙遜されている方が多いです。

日本人の美徳なのかもしれませんが、もったいないことも多いです。

私が他の方の話を聞いて、なるほど~と思った時は、

「それはすごいことですよ~」

と、そのままお伝えするんですけども、謙遜されることが多いのですごくもったいないと思います。

お釈迦様が悟った時、

「自分っていう存在は本当に世界の中で唯一無二なんだ、だからこそすごく尊いんだ。」

それで、天上天下唯我独尊という言葉が生まれたと言われてるわけなんですけども、まさに一人一人が本当にそうなんじゃないかなと思うわけです。

こうやってブログを運営していたり動画で配信していると、世の中には自分と同じ悩みを持っている人っていうのが必ずいることに気付かされます。

だからこそ自分の経験は世の中の誰かに必ず役に立つんだと、強く思えるようになりました。

自分が全然大したことないって思ってしまうともったいないです。

インターネットがつながりを変える

そしてインターネットっていうのは、いろんな人との繋がり、世界との関わり、ここの諸法無我のところですが、ここの世界との関わりを大きく変えてくれたツールです。

今もどんどんどんどん進歩して変え続けている。

これは、諸行無常ということにもなりますが、インターネットっていうツールのおかげで世界との関わりっていう部分が、大きく変わっているなとも思うわけです。

ほとんど無料に近い形、月数千円とか、ブログを運営するだけだったら月1500円もあれば自分のWordPressのブログも作れます。

メルマガを配信するのだって無料のものからありますので、手始めにやるんだったら無料のメルマガからスタートすれば全然お金をかけずに始められる時代です。

インターネットを利用すれば、私は今福岡に住んでるわけですけども瞬時のうちに東京の方と繋がることもできるし、北海道の方とも繋がることができるし、アメリカだったり、ブラジルだったり、ヨーロッパ、ドイツ、世界中と繋がることができるんです。

こういったインターネットの利用の仕方についても、自分自身の経験に価値があるということが実感として意識できるようになれば、インターネットの使い方っていうのもすごく変わっていくんじゃないかと思います。

天上天下唯我独尊のエピソードから学んで気付きを増やそう

天上天下唯我独尊、昔の偉人と呼ばれる方が残した言葉っていうのは大きな教訓が残されていると思います。

ぜひ、こういった言葉を入り口にして自分の生活っていうのを見直してみてください。

そうするとまた見え方が変わっていって、いろんな気付きが生まれていくんじゃなかろうかと思います。

一つの考え方のヒント、視点を増やす取っ掛かりの一つとして参考にしていただければ嬉しいなと思います。

今回は天上天下唯我独尊の意味は自分で見出すことに価値があるということでお話をさせていただきました。

 

動画ではマインドマップを使ってお話していますので、合わせて参考にしてください。

この記事を書いた人

作家/マーケター

人生の試練に打ちのめされた20代を経て、自分らしさを軸にした文章術を武器に独立。人材開発とマーケの2軸で活動中。人の強みや才能を引き出す独自のカウンセリング技術を開発。千葉生まれ、広島育ち、大分、熊本、静岡、福岡、新潟を経て現在は東京在住。

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