やりたいことがわからないあなたへ。心から好きなことをみつけるには?

やりたいことがわからないという悩みは切実ですよね。

普段はそんなこと気にしなくても生きていけますが、いざという時、困るものです。

私も以前は同じ悩みを抱えていて、高校の時は理系文系の選択で迷いましたし、大学の進路でも迷いましたし、就職活動や転職活動でも迷ってしまいました。

でもそんな私でも、今は会社を経営して3期目になります。(2020年1月時点)

試行錯誤して乗り越えてきた経験から、やりたいことがわからない時に、どうすれば心から納得して前に進むことができるのか、についてお伝えしていきたいと思います。

目次

やりたいことがわからない理由とは?

まず、やりたいことがわからない理由として1番最初にお伝えしたいのは、経験不足であるということです。

食べものでも食わず嫌いがあるように、経験する前から拒絶してしまうような場合です。

これは非常にもったいない。

もし周りから向いてると言われたり、何かに誘われたりした時は、好きでもないしやりたくもないけど、とりあえず乗っかってみる、というのも1つの方法なのです。

たとえば、私はもともとダンスに苦手意識があったり、好きでもなんでもなかったのですが、ある時に誘われたことをきっかけにサルサを始めました。

最初はサルサみたいな男女ペアのダンスで、お互いの距離も近いようなダンスなんて恥ずかしくて無理と思っていましたが、意外とやってみると慣れるものです。笑

今もダンス自体が好きというわけではないのですが、ダンスを楽しめるようにはなってきました。

こんな感じで、できない間は楽しくなかったとしても、できるようになると楽しくなることだってあるわけです。

ぜひ自分ひとりだとなかなか経験できないことでも、他人の誘いは断らない、と決めておくだけで経験の幅を広げることができるということをぜひ覚えておいてください。

ぜひあなたもサルサを始めてみませんか?笑

まぁそれは冗談ですが、機会があればぜひ。

知識不足という原因

それから、経験不足と近い理由として、知識不足というものもあります。

経験してみることは大事なことですが、世の中のすべてのことを経験するには、あまりにも時間が不足しています。私たちの時間には限りがあるからです。

ですから、ちょっとでも気になると思ったことは、インターネットで調べてみてください。

情報はいまや無料でたくさん取ることができますので、Google、Youtube、SNS、Amazonなどで、興味がある情報をどんどん増やすことができるので、利用しない手はありません。

経験のほうが大事

ただし、ここで1つ注意点があるのですが、知識を増やすことに偏りすぎるのはNGです。

知識を増やすよりも、むしろ、経験を増やすほうが重要度は高いです。

なぜなら、いざ経験してみることで始めて分かることがあるからです。

好きになる仕事、いざ経験してみると好きになる趣味というものは、経験してみて始めて分かるものなのです。

自分のやりたいことがわからないという気持ちは意外とあてにならないものだったりしますしね。笑

知識は最初のとっかかりにはなりますが、それだけで最終判断するのはもったいないかなと思います。

やりたい仕事を選んだつもりが・・・

最初は私は大学を卒業して、やりたい仕事を選んだつもりでした。

でも、給料面で納得できなかったり、経験することで見えてくる業界の常識や、その会社の個性がどんどん出てきました。

いざ転職してみたら転職の難しさを実感することがありましたし、副業を始めようとする場合も、最初に取り組んだものはいざやってみると、そんなにやりがいがあるものではありませんでした。

自分がやりたいことを選んだはずなのに、やってみたらやりたいことではなかった。

そんなことを繰り返してきたのです。

最終的に副業を勉強するためにたくさん自己投資をしてきましたが、振り返ってみれば随分と回り道をしたなぁと思います(泣)

だからこそ、この記事を読んでいるあなたには、私と同じような苦労をしないでほしいなという思いで、記事を書いてます。

話を戻します。

やりたいことがわからない。好きなことがみつからない。

そんな時に大事なのは、分からないと悩む時間を過ごすことではなく、失敗を恐れることでもなく、後悔しないように生きる、ということです。

後悔しない選択を繰り返していけば、やりたいこと、好きなことに最短でたどり着けるのです。

なので、後悔しないための方法論をお伝えしたいと思います。

後悔をしないためにどうすればいいか?

やりたいことがわからない、好きなことがみつからない、という悩みの答えを見つけなければ、何のために生まれてきたのか、というもっとも大事なことすら見失ってしまいます。

私たちには必ず存在意義が必要です。
存在意義を感じられない人生は、ほんと虚しいだけです。

でも、意外にこういうパターンは多いのです。

自分の人生を生きるのではなく、親の価値観に従ったり、世間の常識に従ってしまい、他人の人生を生きるような選択をするようなパターンです。

そこで、有名なのが「死ぬ前に後悔することリスト」です。

これはアメリカの大学の研究でも、日本の大学の研究でも同じような結果が出ているのですが、死ぬ前にどういうことに後悔してるかを調査した内容です。

この調査結果によると、お金持ちの人も、貧乏な人も、社会的地位の高い方もそうでない人も、同じような後悔をして死んでいくことが分かっています。

その筆頭に挙げられるのが「もっと自分らしく生きればよかった」なのです。

「やりたいことがわからない、好きなことがみつからない、でも今すぐなんとかしなければいけない悩みではないし、とりあえず後回しにしとこう。」

そのツケを後回しにした結果が、人生の締めくくりである死ぬ前に、自分の人生に後悔しながら死んでいくのです。

人生の最後の最後で後悔するなんて、そんなのイヤじゃないですか?

私はそんなの絶対イヤだ!と思ったので、自分の人生を生きたい、と強く思いました。

あなたはどうでしょうか?

もしあなたも私のように、人生を終える時に後悔をしたくないなら、自分らしく生きるとはどういうことか、という問題は、後回しにしてはいけない人生の一大事なのだということです。

武士の生き様を参考にしよう

Amazonでリサーチしてみると、偉人が死ぬ前に残した言葉がまとめられた本なども販売されています。

どうやって死んでいくべきか。

この問いに対して、私たちはどう向き合うべきなのか。

そのヒントが、戦国時代の武士の辞世の句にあります。

実は、辞世の句とは、死ぬ直前に書くものではありません。

激しい戦をしている最中に深手を負った時に「ちょっと辞世の句を書くから待ってくれ!」なんてそんな時間はなかったはずですよね。笑

ということは、いつ死んでもいいように、自分の人生はこうやって終えていくんだ、こうやって死んでいくのが自分の人生だ、ということを考えて、予め辞世の句を作っていたのです。

そして、その辞世の句を懐に忍ばせたり兜に貼り付けたりして、死地に赴いていたのです。

人生の最後をイメージして、どういう人生だったら最高の人生か、自分らしい人生と言えるか、を考えていたのです。

ここは私たち現代人も大いに見習うべきだと思います。

ゴールからの逆算をしよう

すべて未来のことを考える時はゴールからの逆算をするとうまくいきやすくなります。

人生のゴールとはつまり、死ですね。

武士にとっては、普段から辞世の句を考えていたことで、死からの逆算思考になっていました。

武士と同じように、どういう死を迎えるのが、あなたにとって理想なのか。

ここをしっかりと考える必要があります。

ところで、1つ覚えておいてもらいたいのが、こういった逆算思考をしても、描いた理想がすべて実現するとは限らないということです。

いやむしろ、思った通りの結果が手に入ることのほうが稀でしょう。

一部の超能力者を除いて、私たち一般人は残念ながら未来が見えないのです。

最終的に理想の結果が手に入ったとしても、そのプロセスは想定外の連続ということだってあります。

ということは、そもそも未来のことは思い通りにならないものである、想定外のことが必ず起きるものである、という前提を持っておくことが大事なのです。

そういうイメージを描いておくと、一喜一憂したり、周りに振り回されなくなるからです。

いざやってみたら、予想を上回る場合もあるし、予想を下回る場合もあります。

やってみないとわからないものなのです。

経験すること自体に価値がある

ここで、大事なのは、経験すること自体に価値があると考えることです。

そう考えることができれば、たとえ想定外の結果が起きようと、後悔することはなくなります。

いい経験を積むために大事なのは、自分の直感どおりに動いてみることです。

人から言われてはじめて動くのではなく、たとえ常識から少し逸脱していたとしても、あなたの直感に素直にしたがってみるのです。

そうすると、最終的によかった!と納得できる結果になることがほとんどなのです。

自分で選択したことなので、どんな結果でも前向きに受け止められるし、今後の糧にすることもできるのです。

あなたは「信じるな、疑うな、確かめろ。」という言葉をご存じでしょうか?

これは「経験する前に信じるな、経験する前に疑うな、経験してどう感じるか確かめろ。」と言葉を足すと分かりやすいと思います。

迷った時は、すべてこのような判断をすると、後悔が起きることはなくなります。

好きなことを仕事にするべきか、仕事と好きなことは切り離すべきか

好きなことが仕事になればいいな、というのが一般的な考えだと思います。

ですが、実は好きなことを仕事にした結果、好きではなくなってしまった、キライになってしまった、というケースが意外に多いのもこれまた事実です。

好き同士で結婚したのに、3分の1は離婚してしまうのです。

私もその3分の1の人間ですが。笑

そう考えると、自分の好きの感覚も意外と怪しいことが分かると思います。

仕事の場合、好きだからやる、というのと、生活のためにやらなければいけないからやる、というのは、バランスが必要です。

ですから、やりたいことがわからない、ならとりあえず、やりがいではなく、仕事の条件面で選ぶのも1つの選択なのです。

条件がいいほうが、時間的な余裕もできるし、経済的な余裕もできます。

時間的な余裕と経済的な余裕を手に入れるからこそ、やりたいことをやることが可能になるからです。

最初からやりたいこと、好きなことを仕事にいしょうとして、時間的な余裕もなくし、経済的な余裕もなくすくらいなら、まずは余裕を作ることを最優先にしてもいいのです。

こういった優先順位を間違えると、どこまでも泥沼にハマってしまいます。

何歳になっても自分探しをしてるだけだと、もっと◯◯しときゃよかった、と言って死ぬことになるので、優先順位を間違えないようにしなければいけないのです。

人よりも得意なことを選ぶのもあり

やりたいことがわからない時は、客観的に見て、周りの人よりも優れていることを活かすのも1つの方法です。

たとえば、理系か文系で進路を迷ったら、努力しなくても点数が取れるほうを選ぶのです。

努力が実りやすい事柄のほうが、やりがいを感じられる可能性が高いし、才能が活きる場合が多い。

仕事でも成果も上がりやすいので、社会的な評価、つまり、給料やキャリアがいい方向に行きやすいですよね。

経済的な余裕、時間的な余裕、精神的な余裕を手にしやすいのです。

それを手に入れてしまってから、じっくりといろんな趣味の時間を作ってもいいでしょう。

要するに、選べる選択肢が多いほうを選ぶということです。

そのためには、自分が得意なことはなんだろう?という基準で考えてみるのもおすすめです。

やりたいことと生理的な欲求を区別しよう

さて、また別の角度からの話ですが、やりたい、という思いの落とし穴について。

ここはけっこう大事なポイントです。

ここを見落とすと大幅なロスになりかねないので、じっくりとお読みください。

その内容はというと、人生の目的を考えるレベルでやりたいことと生理的な欲求は別物である、ということです。

詳しく解説していきます。

生理的な欲求とは

生理的な欲求で有名なのは、まず三大欲求ですよね。

食欲、性欲、睡眠欲、です。

これは生き延びるために人間に与えられた生存本能そのものです。

ですが、欲を満たすことができれば幸せになれる、と勘違いしてしまうと、本当にやりたいことを見失ってしまうことにもなるので、注意が必要なのです。

たとえば、食欲。

食欲を満たすとどうなるかというと、幸福感に満たされますよね。

では、その食欲を満たし続けていったらどうなるか。

どんどん美味しいものを食べて、食べて、食べて、ぶくぶく太ったり、生活習慣病になってしまうわけです。

いまの日本は、過去の歴史を振り返ってみても、また現代でも地球上を見渡してみても、飽食の環境です。

餓死するリスクはほぼ皆無といっていいでしょう。

むしろ、食べすぎによって、太ったり、病気になるリスクの方が高い。

では、太りたくて食べてるのか、病気になりたくて食べてるのかというと、そうではありませんよね。

このように欲を満たし過ぎてしまうと、本来手に入れたいもの、本来ほしかったものがわからなくなっていくのです。

一方でちょっと足りないくらいの空腹状態になると、若返りホルモンが分泌されると言われています。

腹八分目とも言われますが、空腹状態をあえて作るほうが、肉体は返って元気で若々しくなれることがだんだん分かってきているのです。

味覚もリセットされるので、食べ物を美味しく食べることもできるし、肌の状態だって色つやがよくなっていき、女性は美容効果も期待できるのです。

生存本能ですから生きるために大事な欲求ですし、適度に満たすことは私たちを幸せにしてくれますが、際限なく満たそうとすると、かえって本来やりたいことからどんどん遠ざかってしまうのです。

あれ?こんなはずじゃなかった・・・(泣)

生理的な欲求を過度に満たしてしまうと、このような後悔をするはめになるのです。

やりたいことが分からない理由は他にもある

ここで、もう少し「やりたいことがわからない、好きなことがみつからない」理由を、考えていきたいと思います。

実は、その理由は、生存欲求以外にもたくさんあるのです。

たとえば、私たちはみな思考のパターンを持っていて、人によってそのパターンがまったく違います。

たとえば、

・周りに評価されたい気持ちが強すぎる
・未来のことを心配する気持ちが強すぎる
・正しさを求める気持ちが強すぎる
・やりたいことが多すぎて優先順位を付けられない
・なんか自分らしくないと思ってしまう
・思考が整理できていない
・欲望や感情に振り回されてしまう

などですね。

これらは生理的欲求ではありませんが、その次に強い欲求です。
それは社会的な欲求です。

私たちは社会的な生き物ですから、愛したい、愛されたい、認められたい、尊敬されたい、といった社会的な欲求もあるのです。

これらも満たせばいいかというとそうでもありません。

周りの目を気にしすぎるあまり、自分のやりたいことを後回しにしてしまうことにもなるからです。

実は、人生で後悔することリスト、というのは、主にこの社会的な欲求に囚われたからこそ、生じる後悔なのです。

「もっと自分らしく生きればよかった」と後悔するわけですから。

社会的な欲求も決して悪いものではありませんが、過度に求めると、周りの目ばかり気にする生き方をしてしまうことになり、逆に死ぬ前に後悔してしまうのです。

つまり、これらのこだわりや執着が強すぎると、見えるものも見えなくなるということなのです。

冷静に客観的に見れば誰でも分かることなのに、当の本人は周囲が見えなくなってしまうものなのです。

はい。

生理的な欲求とほんとうにやりたいことや好きなこと。

社会的な欲求とほんとうにやりたいことや好きなこと。

これらが、似て非なるものであることが、お分かりでしょうか?

いまの自分を疑うことも大事

いまもしあなたが「やりたいことがわからない。好きなことがみつからない。」と思っているなら、その自分のどこかを否定しなければいけません。

生理的な欲求に支配されているか、社会的な欲求に支配されているか、そのどちらかもしれません。

大事なことは人生の舵は自分が握ることです。

そのためには、未来の自分を信じること、なのです。

信じるな、疑うな、確かめろ、ですが、未来の自分を信じるのはOK。

未来の自分を信じられるから、いまの自分を否定する勇気が生まれるわけですから。

私たちは周りの環境に知らずしらずの内に洗脳されている場合があります。

常識にしばられているのも、ある意味洗脳ですし、学校教育を受けただけでも洗脳されていると言っていいくらいです。

教育というのは誤解を恐れずに言うと、洗脳させられているのです。

知識を増やすことは大事ですし、歴史を学ぶことは大事なことですが、判断基準は自分の中に持っておかなければいけません。

学校の先生や、親や、友人が「こうしたらいいよ。」と親切にアドバイスしてくれたとしても、それらに流されてはいけない。

死ぬ前に後悔が残ります。

人生の舵は絶対に他人に渡してはいけません。

自分で握っておかなければいけないものなのです。

日本では謙譲の徳、謙虚はいいこと、と言われますが、耳障りがいい言葉に逃げてはいけないのです。

謙虚になることと、人生の舵を他人に明け渡すことは、まったく別問題なのですから。

では、自分で人生の舵をしっかり握るためにどうすればいいかを、お伝えしていきましょう。

自分を再発見する方法

それでは、ここからは自分のやりたいこと、好きなことをみつける方法をお伝えしたいと思います。

やりたいことをやるのに有効なことは、ずばりアウトプットです。

あなたがいろいろ経験しながら感じていることを、ノートやブログにアウトプットしていくという方法です。

なぜアウトプットがいいかというと、アウトプットをするということは、高次脳機能を使うことになるので、脳が活性化するようになります。

これまでの経験が統合されていき、自分が好きなことを言葉で言えるような脳みそを、アウトプットによって手に入れることができるのです。

知識を増やすために人から聞いた話、読んだ本、などをどんどんアウトプットしていくことによって、アウトプットの経験を積むことができます。

そうやってアウトプットしたブログ、そうやってアウトプットしたYoutubeを収益化して、生活している人も少なくありません。

実は、マーケティング的な観点でも、ドラッカーの有名な「市場を創造する」という言葉の意味は本来こういうことなのです。

市場を創造するためには世の中のニーズの分析をするよりも、自分の中から生み出せるものなのだということです。

自分が何であるべきか

この問いは、人生の問題を考える上でも、マーケティングにおいても非常に重要な問いになります。

たとえば、最近はキャンピングカーで日本各地を釣りをしながら旅をして、その様子をYoutubeで配信しているユーチューバーもいます。

最初はそれが収益化できるかどうかは関係なく、自分の知識や経験をどんどんアウトプットしていっただけです。収益化は後から付いてきています。

実際にやってみて、やりがいを感じるテーマであれば「これが自分のやりたいことだったのか」と後から分かるでしょうし、そのことに気付くことができれば、継続してYoutubeチャンネルを育てることができるでしょう。続けていれば、多かれ少なかれ収益化はできるものです。

世の中には主婦のブロガーやサラリーマンブロガー、学生ブロガーもたくさんいますが、みんな同じようなプロセスを経て収益化に成功しています。

一部の人は、最初から収益化を計算してブログやYoutubeを始めて成功する人もいますが、実際のところ、お金目的でそこまでがんばれる人はほんの一握りだけです。

お金のためなら、好きなこと、やりがいなどがなくてもがんばれる、という人は、大丈夫かもしれませんが、なかなかそう言い切れる人はいません。

飛び込み営業の仕事はみんな嫌がりますし、風俗の仕事だってみんな嫌がるでしょう。

どんな職業も社会的な意義はあると思いますが、一般的に嫌がれる仕事というものはあります。お金のためだけに、それをずっとやれるのか、ということなのです。

実際のところ、お金目的だけでは、人の心は動かないものですし、仕事として続けることはなかなかできないものなのです。

やりたいことを難しく考えているかもしれない

そもそもやりたいことを難しく考えすぎているだけかもしれません。

先ほどお話した、死ぬ前に後悔することリストを見てみると、私たちが死ぬ前に後悔することはほとんど決まっていることが分かります。

家族との時間を過ごせばよかった、仕事ばかりしなければよかった、もっと旅行に行っとけばよかった、幸せを実感しながら生活すればよかった、といったような、やろうと決めたら誰でもできるようなことです。

一部の金持ちにしかできないような大それたことではなく、日常で感じる些細な幸せを大事にできなかったことに悔やんで死んでいくのが、後悔のパターンなのです。

日常で感じること、見た映画、読んだ本、家族や友人との会話、などをアウトプットすることは、自分が主体的になって、世界を感じながら生きた実感が残ります。

難しく考えずに、ブログやYoutubeでアウトプットしてみることです。

それを続けていけば収益化ができるようになるので、そうすれば、幸せを積み重ねた結果として、経済的自由も手に入ってしまうのです。

目の前にある小さな幸せを大事にすることで、経済的な自由と、時間的な自由を手に入れることができますので、やりたいことや好きなことの可能性も広げることができます。

長期的に考えたらメリットしかないのが、アウトプットという解決策なのです。

もしかしたら自ら制限しているかもしれない

自分にはやりたいことをやる資格がないと、無意識で思い込んでいる可能性もあります。

小さい頃に親から「我慢しなさい」という教育を受けている方は、自分の意見を言ったらいけない、という思考が癖になっている場合があるのです。

アウトプットするときは、自分が感じたこと、思ってることを自由に書いてOKです。

世の中には、あなたと似た価値観の人もいますが、あなたと違う価値観の人も存在します。

私もどちらかというと、自己表現が苦手な種類の人間だったのですが、いざ勇気を出してアウトプットしてみると、共感してくれる人もいるんだ、ということが身を持って実感しました。

ネットニュースやSNSなどを見ていると、批判的なコメントを見たり、炎上したりしているのを見るので、怖そうに感じることはあるかもしれませんが、私たち一般人がそんなに注目されることは99.9%ないと言っていいでしょう。笑

むしろ自分の感じていること、思っていることをアウトプットしていくと、自分に共感してくれる人が集まってくれるようになります。

この経験をすることは、大きな自信になりますし、その自信がやりたいことや好きなことの可能性を広げてくれるのです。

緊急でもなく大事でもないものをとっととやろう

7つの習慣というベストセラーでは、優先順位のマトリックスの話があります。

緊急性が高いか低いか、重要度が高いか低いか。

その2つの基準を組み合わせることで

緊急性が高いけど、重度度は低い案件
緊急性が高く、重要度も高い案件
緊急性が低く、重要度も低い案件
緊急性が低いけど、重要度は高い案件

この4つに分類することができます。

本当に大事なのは、「緊急性が低いけど、重要度が高い案件」と言われます。

なぜなら、緊急性が低いので、重要な案件なのに後回しにしてしまうから。

時間は有限ですから、自分にとって重要なことにリソースを使わないといけませんよ、ということが7つの習慣に書かれています。

ですが、実は「緊急性が低く、重要度も低い」ということの中に、大事な案件が潜んでいることがあります。

そんなことしてもしょーもない、と無意識で思ってしまって、本当は大事なことを切り捨ててしまってる場合があるからです。

先ほどの、キャンピングカーで全国を釣りして回ってるユーチューバーさんなんかまさにその例だと思います。

もともと好きな釣りで収益化できると思っていなかったわけです。

「そんな遊んでばかりでなく、ちゃんと仕事したら?」という、いかにも常識的なアドバイスをする人は、周りにいたことでしょう。

その人たちは心から心配して、相手のためを思ってアドバイスしてると思います。

でも、常識に流されるのが自分にとっていいかどうかは話が別です。

死ぬ前に後悔が残るような選択こそが最悪なのですから。

重要度が低いけど、いつかはやってみたい。

そんな案件の中に、実は、あなたにとっては、人生を大きく変える一大事が隠れている可能性があるので、決しておろそかにはできないものなのです。

では、なかなか分かりにくい「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」を見つけ出すにはどうしたらいいか?

これさえ分かってしまえば、「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」を見つけながら、収益化ができ、経済的な自由と時間的な自由、そして精神的な自由を手に入れることができます。

「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」を見つけ出すための方法論は、実は2500年前から言われている、自分を知るための学びの極意でもあります。

やりたいことがわからない真の理由

やりたいことが分からない理由を突き詰めていくと、自分ひとりでは自分のことが分からないから、というところに行き着きます。

やってみたら楽しかった。

食べてみたら美味しかった。

話してみたらいいやつだった。

そんな感じで、自分で自分のことが分かっていないのが、私たち人間という生き物なのです。

ここはよく勘違いしがちなところでもありますが、自立することとは依存すること、なのです。

これは2500年前から、読みつがれている『論語』の教えです。

自分ひとりでは自分のことは分からない。だから、他者を移し鏡にして、自分自身を見つめようということが説かれているのです。

そして、マーケティングを体系づけたピーター・ドラッカーは、論語に学んでマーケティング理論を構築したので、マーケティングと論語には驚くほど多くの共通点があるのです。

ブロガーやユーチューバーで成功している人の取り組み方を見てみると、論語やドラッカーが言ってる原理原則に則っていることがよく分かります。

自立することは依存すること

一見、矛盾するように見えるかもしれませんが、まったく矛盾していません。

本当の意味で自立している人は、自分一人で生きることはできないことを知っているので、正しい依存関係になれるのです。依存は従属とは違います。無条件に従うのもなく、盲目的に信じるのでもなく、持ちつ持たれつの関係性を築くということです。

肉を食べるのも、魚を食べるのも、米を食べるのも、そういう職業のおかげで、食べることができています。

社会との関わりとは正しい依存関係を作ることであり、そのためには、自立した自分にならないといけない。

そう考えていくと、自立するということは依存すること、と言えるのです。

ここで話は元に戻るのですが、自分のことは自分ひとりでは分かるようになりません。

ですから、必ずフィードバックをもらう必要があるのです。
他人の力を借りる必要があるのです。

つまり、アウトプットすることで、他者からのフィードバックが得られる機会が増えるというのが、アウトプットの最大のメリットと言えるのです。

ぜひ知識を増やしてください。

そして、それ以上に体験を増やしてください。

アウトプットする機会を増やしてください。

そして、フィードバックの機会をできるだけ作るようにしてください。

そのうちに、自分のやりたいことがわかるようになり、好きなことが見つかっていきます。

自分ひとりで考えようとしないことが大切です。

他者に依存して、他者の力を借りて見つけ出せばいいのですから。

この記事を書いた人

作家/マーケター

人生の試練に打ちのめされた20代を経て、自分らしさを軸にした文章術を武器に独立。人材開発とマーケの2軸で活動中。人の強みや才能を引き出す独自のカウンセリング技術を開発。千葉生まれ、広島育ち、大分、熊本、静岡、福岡、新潟を経て現在は東京在住。

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